WACKO MARIA 石塚啓次が語る、サッカー選手のセカンドキャリアとは

WACKO MARIA 石塚啓次が語る、サッカー選手のセカンドキャリアとは
HOUYHNHNM:LIF STYLE NEWS
あの石塚啓次が語る、サッカー選手のセカンドキャリアとは?
リンク先の元記事より抜粋します。
平均引退年齢26歳(!)という厳しい現実の中で、
選手たちは その後どんな新しい道を歩き始めるのでしょうか。
元サッカー選手にとっての”働く”ということを直接伺い、
探っていくイベント「ball or something」がスタート。
との事です。
講演会?セミナー?なのでしょうか。
そして、こちらもそのままの引用なのですが、
石塚啓次氏のプロフィールを。
1974年 京都生まれ
1993年~2003年 Jリーグ、東京Verdy1969 (ヴェルディ川崎) 等でプレー
2004年 アパレルブランド有限会社 WACKOMARIA 代表取締役として設立
2013年 バルセロナに移住し、VIVA LA VIDA設立
そうなんです。
僕らの世代でファッション好きならば、
かなり多くの方がご存知であろうWACKO MARIAを立ち上げた方です。
この記事(イベント)自体に特別大きな魅力を感じた訳ではございませんが、
僕自身、立ち上げ初期のWACKO MARIAには相当お世話になっていたので取り上げてみました。
立ち上げ当初から何シーズンかは、アロハのデザインが個人的にストライクを決めてくれたWACKO MARIA。
たしか、立ち上げから3シーズンくらい連続でアロハを購入しました。
少しサイズが大きかったので、乾燥機にガンガンかけてぎゅんと縮ませていたのも良い思い出です。
現在はどれほどの人気なのか存じ上げませんが、
一時期の WACKO MARIA の爆発的な人気から、多くの方が袖を通したのでは。
もうすぐ夏ですし、久し振りにアロハを引っ張り出そうか・・・・。

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生川敏弘(なるかわとしひろ)
1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。

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生川敏弘(なるかわとしひろ)

1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。