PUMA SUEDE

PUMA SUEDE
プーマ スウェード
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PUMAの大定番で、

不朽の名作SUEDE(の原型モデル?)は1968年に誕生。

同年開催の

メキシコオリンピック内の陸上200m走で

1位になった選手が、

まだ当時名前が付いてなかった

このスウェードの前身モデルを

表彰台で着用したというエピソードがあります。

 

その後、

バスケットプレーヤーのウォルトフレイジャーの

シグネチャーモデル「クライド」として

世に出ていたのですが、

契約終了後も生産は続き、

クライドのスウェードモデルが

「PUMA SUEDE」として呼ばれるようになりました。

 

こちらの1足は、

販売員をしていた2005年頃の当時現行カラーモデルです。

当時、店頭にPUMAスウェードが4色程入荷していて、

さすが名作モデルなだけあって、

着々と数が減っていきました。

 

「1足は押さえておきたいなぁ。」と考えていたのですが、

 

マイサイズが残っておらず、入手は諦めていました。

・・・と、思いきや、

狙っていたオレンジ白のみ28.5cmが残っている事に気付き、

即取り置き。

その直後の給料日に、念願叶い購入しました。

 

シューレースはオレンジの平ヒモが通してあったのですが、

白いコットン平ヒモに通し替えてます。

 

書き加えると、

オレンジの平ヒモの替えヒモとして

白いファットシューレース(太い靴ヒモ)が付属しています。

 

80年代、

音楽カルチャーと密接にあった当時のストリート。

そんなストリートシーンの中で、

靴ヒモをファットシューレースに通し替えるブームがありました。

その80年代に支持を得ていたスウェードならではな、

極太の白い平ヒモ。

今回の為に通してみました。

 

 

 

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だいぶ印象が変わります(^^)

オレンジ白というカラー自体、

使い回しがし易いかと聞かれたら、

なかなかそうとは言い辛いもので、

実際に着用回数は特別多くはありませんでしたが、

シンプルなストリート系の服装なんかに合わせる率が高く、

足下へのアクセントとして完璧な役割を果たしてくれます。

やや大きめのTシャツに細めのパンツ、足下はPUMA SUEDE。

そんな組み合わせが、個人的にかっこいいです。

 

 

 

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生川敏弘(なるかわとしひろ)
1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。

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生川敏弘(なるかわとしひろ)

1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。