専門学校時代 前編

専門学校時代  前編
定時制の高校を卒業した僕は、県外にある3年制の専門学校へ進学しました。
服飾学科です。
同級生は3歳年下でしたが、唯一、一人だけ僕よりも年上がいました。
名はKAG君。
KAG君は知識も豊富で、お洒落。
そして彼の一番の特長は、良い物を安く手に入れる能力に長けている事でした。
Dries Van Notenや
Maison MartinMargiela、Marc Jacobs(のファーストライン)等の
ハイブランドをオークションなんかで格安に購入したり、
リサイクルショップで質の良いニットアイテムを500円くらいで。
シルクのハンドメイドスカーフを200円前後。
生地が上質で、仕立ての良いメンズアウターを1200円前後で入手したりと、訊いて驚く事ばかりでした。
彼は服が大好きで、ファッションを楽しんでいましたし、
前述しましたように、目利きする能力が非常に魅力ある人物でした。
良いモノというのをKAG君から勉強させてもらい、
僕もKAG君同様、目利きして掘り出しものを見つけ出して買い物をするようになりました。
KAG君もかなり利用しているのですが、
オークションやリサイクルショップ以外で掘り出し物を見つけられるのがアウトレットモール。
KAG君との出会いで、僕もアウトレットへ足を運ぶ回数が多くなりました。
(掘り出し物を探すにあたり、僕はアウトレットの利用が殆どです。)
8万円台のもの(ウール×カシミアのコート)を1万円台で購入したり、
7万円台のもの(スコットランドウールのコート)を7千円程で購入したり。
他にも3万円のシルク地のスラックスを7千円で購入したりもしました。
本当に色々なアイテムを掘り出しました。
好きなブランドがあったし、古着も着用するようになっていたにしろ、
それまでの僕の買い物方法は、ブランドで物を選んでいた面が間違いなくあったので、
こういった買い物の仕方は新鮮で、衝撃的でもありました。
実際、良いモノを安く手に入れているので、
かなり得をしている気になりますし、今では高い製品を簡単に購入しなくなりました。
(ケチになってしまったような気もします・・・笑)
結果、ドメスストリート+ナチュラルテイスト+ヒッピーテイストだった僕は、
シャツを多用したスタイリングが増えました。
それは何故か。
メンズファッションで良いモノ(良い素材・良い仕立てなど)となると、
やはりメンズファッションのピラミッドの錐に位置するテーラー関係の紳士服が多く、
そういったアイテムをコーディネートに組み込んでいくと、
自然と(必然と?)トップスにシャツを持ってくる事が多くなってきたからです。
もちろん、良いモノ=テーラー関係とは一概に言い切れません。
あくまでも、僕が購入してきたアイテムはそういった傾向にあったからです。
(ウールのコートやカシミアのマフラー、ウール×カシミア×アンゴラ地のスラックスなど)
シャツの着用率が増えた事により、服装が大人になり、
スニーカーでハズすスタイルが大好きでしたので、
シャツ+スラックス+スニーカー
シャツ+ルーズなパンツ+スニーカー
シャツ&シャツの上にルーズなニット+細身のパンツ+スニーカー
こういった服装をする機会が多くなりました。
良いモノを相応の高い値段で入手している訳ではないので、
“手入れをしっかりと しなきゃいけない!”と義務感に狩られる事がないのも利点の一つです。
好きなドメスブランドがあり、古着も好きになり、スニーカーもたくさん所有し、
何より、センスの有無関係なく、ファッションが好きで、本当に楽しめるようになりました。
しょっぱい我流のストリートファッションから、前述のような今のファッションスタイルになるまで、10年弱。
かなり遠回りでしたが、ショップTさん・南さん(仮名)・KATさん・KASさん・KAG君・ショップJのマスター(次のブログで紹介します。)達との出会いで、
僕のファッション史は大きく書き替えられてきました。
専門学校時代にはKAG君との出会い、仲良くなり、色々と教えてもらい、
KAG君のおすすめのショップとして「ショップJ」を紹介してもらいました。
後編へつづきます
Facebookのページ 用意しました。
https://www.facebook.com/pape775

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生川敏弘(なるかわとしひろ)
1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。

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生川敏弘(なるかわとしひろ)

1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。