高校時代 後編2

高校時代 後編2
前編(http://mtatkk.com/blog-entry-13010.html)

後編1(http://mtatkk.com/blog-entry-13011.html)に続いて、後編2です。

 

後編1では、

全日制の高校を中退

↓ ↓ ↓

その場繋ぎのバイト

↓ ↓ ↓

1年職人見習い(仕事のみを1年)

↓ ↓ ↓

職人見習いをしながら定時制夜間高校へ通う

 

 

↑と紹介しましたが、結局は

「その場繋ぎのバイト」〜「職人見習いで、仕事のみしていた1年」のあたりの話でした。

 

今回は、その後の過去語りです。

ショップYへ通うに連れ、ドメスティックブランドへの抵抗が薄れていった僕。

自分の中で、インポートのストリートブランドを絶対的な位置に据えていたのですが、

Yで扱っていたブランドが

SIFURY ATMOS LITH TOKYO SANDINISTA
alias AMBIVALENT ACQUIESCE BANSHEE
UBIQ TAS CLAE TYUFRY

 

↑等で、当時はSIFURYのフェイスTシャツ・UBIQのFATIMA(スニーカー)
・TASのmania(スニーカー)などが、雑誌で紹介されていて、

 

ミーハー精神丸出しだった僕は、例に漏れずドメスブランドへも手を出していきました。

mania

FATIMA
「俺は雑誌に掲載されてるストリートブランドを着用しとるんや!」

そうやって、自分のファッションが他人とは違い、

こだわりのあるものだと錯覚していました。

 

恥ずかしく、そして間違った驕り(おごり)の出方です。

服に着られているというのは、ああいう事だったなと、痛感します(笑)

 

そしてこの頃、ショップYのすぐ近くにショップRが誕生します。

ショップRもドメスブランドのセレクトショップで、取り扱いブランドが

bal NARCOTIC(すぐ後にRAW FUDGE) NEXUS7
M.W.O.B.H.M COMPLETE FINESS SASQUATCHfabrix.(かなり初期)

↑などで、しばらくしてglambやVictimも扱います。

このショップRの登場で、ほぼ毎週ショップYとショップRのはしごをしてました。

全身ガチガチのドメスストリート系。

サイズ感はオーバーサイズ。

(同じブランドでも、当時のMサイズと現在のMサイズの大きさを比較したら大分違い、昔はかなり大きめになっていたと思います。)

 

当時のストリート系での流行りがモロに出てました(笑)

しかも中学時代に格好だけのややヤンキーっぽい服装だった為、そもそものサイズ感がデカい!

サイジングのセンス0(ゼロ)でした・・・。

 

ショップY・ショップRを往復するうちに、タンスの中が

SIFURY Shapel BANSHEE Victim glamb
SASQUACTHfabrix. DISCOVERD rehacer SANDINISTA

などで溢れ、

もちろん、FUTURAやSNAFUもしっかりとワードローブの一部として、どっしりと構えておりました。

他にも、AG(ドメスの方の)やSINDEEなんかもちょろっと買ってました。

そんなファッションライフを、ダサいながらも楽しんでいた僕の中で変化が起こり始めます。

ショップYのスタッフ、西さんのスタイル・センスに憧れを抱きます。

この西さんという方は、

とても優しい人柄。柔らかい雰囲気を持っていて、服装がユルい!

 

特に当時のSIFURYなんかは染色のアイテムだとかも多く、ユルいテイストでファンを掴んでいました。

 

西さんはとにかくそれらがよく似合い、

尚かつご自身の人柄にマッチしていてお手本にしたくなるのです。

※そんな西さんは当時アルバイトスタッフだったそうで、

ショップYも名前が変わったり移転をしたり、規模も拡大したりと成長していき、

今では、姉妹店4・5店で固めた郊外型ファッションビルの代表になられました。

西さんからは、色々と吸収させてもらいました。

 

「うわっ、今日の西さん めちゃくちゃお洒落!」と思った着こなし方をちょっとマネしたり、

ダサいサイジングを軌道修正してくださった事で、ややジャストめなサイジングになったり・・・。

特に西さんからはゆるいスタイルを盗みたく、また新たに別のショップGにも通うように。

ショップYへ4〜5回通うごとにショップGへ1度足を運ぶ。

そんな程度の頻度でしたが、

そのショップGではPhatee nero(音色を由来として”ねいろ”と読みます)

accha two pieace THCなどを購入してました。

 

裏原系に憧れてストリート系ファッションだった僕でしたが、

コーディネートの中に、一部をさりげなくタイダイ染めしたアイテムや、

やや民族テイストなアイテムを取り入れ、ゆるい雰囲気のアイテムをコーディネートに組み込んでいました。

西さんはゆるい服の着方(ゆるい雰囲気のコーディネートの組み立て方?)をなさってたのですが、
僕はアイテム自体がゆるい印象のものを着用し、ストリート系の中に落とし込もうとしていました。

(西さんは、ゆるい雰囲気への服の着崩し方が非常に上手だったのだと考えます。)

 

このあたりから、わからずながらコーディネートの組み立て方を考えるようになっていきました。
(今現在もよくわからないままその日の服を選んでますが  笑)

 

そうしている内に裏原ブームも落ち着きだし、当時は色んなテイストのドメスブランド出始め・目立ち、

メンズファッションがさらに細分化していったイメージがあります。

FAT MofM FACTOTUM UNUSED F.O.B FACTORY
anachronorm MASH macknight WACKO MARIA
JOHNLAWRENCESULLIVAN TMT nonnative TROVE mean

記憶が全く定かじゃないので申し訳ないのですが、当時目に入っていた(気がする)ブランドです。

 

他にももっとあるはずです・・・!

 

ユニクロのフリースが大流行したり、

リーバイスからリッキー・コフによる立体デニムが出たり、

スラブデニムが流行ったり、

TMTのアメカジがキムタク着用で流行ったり、

ナンバーナインのグランジ系がキムタク着用で流行ったり、

APEの革ダウンジャケットがキムタク着用で流行ったり、

サルエルパンツが流行ったり、

フラボアやズッカが流行ったり、

雑誌ChokiChokiのお洒落なキング達の服装が注目を集めたり、

(当時は奈良氏がすごく、本当にキング奈良状態でした。)

balがすごい流行ったり、

NEXUS7が逆輸入での展開で話題になったり、

テーラードジャケットが流行ったり、

エイプリル77やヌーディー等のスキニーが流行ったり、

お兄系が流行ったり、

ロエンが流行ったり、

時間軸がわからないですが、メンズファッションシーン内では僕が経験しただけでも色々ありました。

当時の僕の愛読雑誌はBOON SMART ChokiChokiだとかです。

やはり、ストリート系を主としている感が強いです(笑)

ごくたまにMEN’S NON-NOには立ち読みで目を通していましたが、

コレクションを楽しめる専門の雑誌 gap などまでは手を出してませんし、

その存在すら知りません。

 

あくまでも、当時の僕はストリート系を軸としたファッション概念を持っていたのだと思います。

 

さて、ストリート系ファッションの中に”ゆるいテイスト”を取り入れていた僕は、

次に古着にも興味を持ち始めます。

興味を持ち始めるのですが、今回の記事も長くなってしまったので、後編3へ続きます・・・。

 

 

 

ファッションが好きで、気付けば品質の高い洋服に触れる機会が多くなり、

結果、行き着いたところは、

「上質で心地の良い生地をみんなに伝えたい。」という気持ち。

そこで、良品質なオリジナルのシャツを企画し、

興味のある方に届けようと こつこつ取り組んでおります。

その取り組みの動向をまとめた

ブログ内カテゴリー【オリジナルのシャツに向けて】

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僕の上質なシャツを届けたい気持ちが伝われば嬉しいです。

 

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生川敏弘(なるかわとしひろ)
1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。

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1986年、三重県四日市市生まれ。いまは岡山県岡山市在住です。 ファッションが好き過ぎて、気付けば、デニムジーンズで有名な岡山県 児島のアパレル生産業界へ飛び込みましたが、身体を壊し、同時に心も折れてしまい離職。 好きで飛び込んだ道を諦めた事で、人生に迷い、出した答えが海外遊学。カナダのトロントへ1年滞在しました。 ファッションの繋がりから現地のアパレル・ファッション関係者の人たちと仲良くなり、一時住む家を無くしかけるも、そういった現地の友人達のおかげで救われたりと、ファッション好きだったからこそ海外での生活が潤った事で、自分にはやはりファッションなんだと再認識。 帰国後、名古屋でファッションの販売員などを経て、 現在は、こつこつ続けているブログを軸に、 Facebook・InstagramなどのSNSによる情報発信をしながら、 自分のファッションブランドを立ち上げるべく準備中です。 旧ブログは、「30歳目前にしてファッションを考える」です。